なんと雪〜!
実は、出発前からFBでたまたま上がってきた記事で情報は得ていたので、
雪の準備はしてきた。
そして、リンモ村に到着した時は、溶けていてホッとしていたが、
朝起きたら銀世界〜!
だけど、めげずにポクスンド湖の雪景色を見に行く^^。
これはレアなショットだと思うんです。
と言うのは、私は雪のポクスンド湖を見たくて、ドルポ越冬からの下山ルートとして考えていたほど。
結局、冬のアッパードルポから、ポクスンド湖へ降りる為の峠を越すことが出来ないと言うことで、別のルートで大回りをして、ドゥネイに降りてきた。
ということで、雪のポクスンド湖が見れるのは、そうそうないと思う。
午前中は雪の為に、ビューポイントへは昼から晴れるのを期待して、先にリンモ寺に見学しに行く。
雪だけど、テンション高め〜で出発する^^
リンモ寺は、仏教より古来の宗教と言われているポン教のお寺。
ポン経のゴンパ(お寺)はビジョール、サムリン、ツァルカ、リンモ、プンモ、パルレ、ドロ、などトルボ内部ではまだ各地に残っている。
チベット密教では右遶(うにょう)するけど、ポンパの人びとは左遶(さにょう)卍の形通り(時計と反対周りに)カンニ・チョルテン(仏塔)では右側を通る。
ポン教は、全ての生き物の中に、精霊や魂が宿ると信じ呪術や魔除けの儀式を大切にし、村と寺の繁栄を祈る。
リンモのご本尊は釈迦牟尼(シェンラップ)が師で宝石をちりばめた台座に坐し、
右手には触地印を結び、左手には手のひらを上にして膝上に置かれ、王冠と白い王衣をまとう。
ということで、これ↑なんだけど、あまりにもピカピカすぎるし、ドルポでは珍しく、ビニイル袋でカバー?がされている。
う〜ん、これは最近のものだ、もっと古いものがあったはず・・・
私の記憶では、真っ暗の中、全く見えないなかでシャッターを切ったら、その光でひかった仏像が埃まみれで見えてめちゃ驚き、ド迫力! ドキっとして、一歩後退りしたほどだったんだけどね・・・・。
だから、その場にいた僧侶に単語並べて聞いてみたら、意味が通じたのか、あるよ、こっちだよって案内してくれた。
お〜これだこれだ、この仏様達だ。
この意味を説明したいんだけど、私の頭では追いつかなくてすみません・・・・笑。
今回も本を読んでみてるけど、難しい〜
興味のある方は、ヒマラヤ巡礼(著:デイヴィッド・スネルグローブ (1920~2016))を読んでほしい。
ドルポの教科書みたいな本で、何度読んでも私には難しすぎて頭に入りにくい。
でも、最近になりようやく意味が少しずつわかってきたので、また読みなおしている。
この古い仏像達の説明もあるので、興味がある方は是非読んでください。
この本を翻訳したのは、大西バラサーブの先輩となる吉永定雄氏、今月が命日です。
私が出会った時は、2007年ですでに身体を悪くされていて、足も悪く話すことも不自由な状況だったが、日本ネパール協会主催の西ネパールの集まりには必ず来られていた。
亡くなる前、電話があってドルポの大祭の写真を見せて欲しいと電話があった。
もちろん、すぐご自宅の方へパソコンを持参して行った。
その時の目が忘れられない、少年のように目がキラキラして、とても嬉しそうに話された。
奥様が何を言ってるのか私には全くわからないけど、稲葉さんとは分かり合えたようで良かったですと言ってくれたのが、とても嬉しかった。
そのとき、ポン教の事をもっと話をきいておけばよかったと悔やまれる。。。
ポン教の本は色々あるけれど、ドルポのポン教がどのように残っているのかが、私には興味がある。
2009年、アッパードルポのサムリンゴンパ(ポン教のお寺)を訪れた時、この「ヒマラヤ巡礼」の本の中の写真に出てくる当時は少年の僧侶だったが、今はさすがにおじさんとなっていて、実際にいて感動した。
話を聞いたら大西バラサーブと同じ年でツーショット写真を撮らせてもらったのが、良き思い出。
しかし、2016年に、このサムリンゴンパを訪れたとき、他界されていてゴンパは無人となり、ビジョールにポン教のゴンパは移動したと聞いた。
2014年〜2016年は、現地のレジェンド、ドルポの大御所様が国内外含めてどんどん亡くなられていき、時代が大きく変わったと感じた年だった。
リンモ村のリンモ寺の壁画の修復作業してた人にどこから来たのか聞いてみたら、
ビジョールだった、なるほどと思った。
名前はタシチェテン。
ここで、美穂ちゃんが日頃からやっているボディマッサージを奉納したいということで、
許可を頂いて、私がモデルとなり本堂の中でさせて頂いた。
あとで映像を見ると、不思議な光がキラキラと舞っていた。
ポン教の仏様達が喜んで下さったということにしよう〜と美穂ちゃんと盛り上がった。
ありがとうございました!
帰りは撮影ポイントでそれぞれ楽しんでからロッジに帰りランチタイム。
同じロッジにカナダ人がいた。
アッパードルポに入ったが雪で先に行けなかったと言っていた。
春はまだ雪がいきなり降るから厳しいな。
14:00 ビューポイントへ出発
高山病になってしまったメンバーがいて、
大事をとってロッジで休んで頂き、
元気なメンバーのみで出発する。
ビューポイントまでは約2時間、比較的アップダウンは少ない、
湖の近くをギリギリを歩ける、すっごい綺麗〜!
見惚れすぎて吸い込まれそうになるので、注意^^です!
映画「キャラバン」の撮影は、ここで行われてるシーンがある。
ちなみに、今の道よりも、上に道が作られていたようだ。
そこからヤクが落ちるシーンがあって、それがドルポの暮らしを表現している。
ここをヤクやカッチャルが荷物を乗せて通るのは本当に危険なのです。
道の幅と荷物の幅のバランスが合わない時、壁にあたってしまい、その反動で落ちてしまうことがある。
それが映画のワンシーンで語られている。
実際、私もこのルートをカッチャルを使って移動したことが2回あるが、その度に馬方がボイコットする。
このルートは危険だから通りたくないと言う、荷物が大きいと本当に大変。
カッチャルは危険だとわかると進もうとしない。
そういう時は、カッチャルから荷物を外して、メンバーでボッカして、またカッチャルに荷物を乗せてという作業が必要になるから、時間がかかってしまうのだ。
今回のツアーは、リンモ村までだからその心配はないよ。
ビューポイントへ、最後は登りになる。
その手前で、メンバーの中で体調的に今回はここまでとすると自分で決めた方がいた。
海外の山では、日本の山より無理してしまうと思うが、そのように自分で判断が出来るのは素晴らしいなと思った。
残りのメンバーでビューポイントの東屋を目指して登る〜〜、16:08到着!
雲がかかっているが、ポクスンド湖は蒼いよ〜、良かった〜!
この色は、天気によって変わる、グレーの時もあったからちょっと心配してたけど、
濃い〜渋い色のポクスンド湖の絶景が見れた。
みな思い思いに写真を撮って楽しむ〜!!
今は、東屋が出来ていて、ビューポイントと地図にも記載されている。
私はここにケルンがあったはず〜と思って探してみた。
そこから少し登っていくと、あった、あった。
そして、なんとハゲワシが出てきた。
隊長が出てきた〜と思ったら、実は〜〜、涙が溢れてきた・・・^^
サングラスはめてたから、メンバーには気づかれてないかな?、
ここで書いてるけど、、ww
私は、3回目、11年ぶりのポクスンド湖になるが、はじめてきたのは2009年。
そのときは、ムグから横断してきた。
あの頃はそんな地図もなく、ムグは今は道路が出来ているけど、当時はまったくなく歩いて横断した。
何日かかったかなー、めっちゃめちゃハードだったけど、最高に面白かった。
それが私の西ネパールの山旅のベースとなった。
今は、GHT(グレートヒマラヤトレール)といった地図も出来て、2012年頃からロングトレイルとして世界的に有名になった。
確か、最初に一般的に発表したのはイギリスだったかな、でも実はもっと昔にすでに歩いた人がいる。
ラインホルトメスナーの息子だったかな、しかもネパールヒマラヤだけでなかった。
さすがだな〜面白い〜とおもって当時興奮して読んだ。
大西バラサーブがつぶやいていたこと、ここに記載しておこう。
地図は、たまに間違えてる。
この先は「Kanjeralwa」6612mの山があるんだけど、
で、その山の名前が間違えている、こないだ購入した今の地図も間違えたまんま〜。
今度行ったら聞いてみようかな、この地図を作っている人、こないだわかった。
何を基準にしているのか?!
地図は「Kanjiroba Himal」となっているが、正しくは「Kanjeralwa」6612mである。
Kanjiroba主峰の方は「Kanjirowa(North)」となっていて、
これは「Kanjiroba」6882mが正解。
ちなみに、初登頂は1970年大阪市立大。
川や村の名前も現地の名前と地図と違うことも多々ある。
チベット語、ネパール語とあって、そこも違うから、2つ名前があったりする。
標高も地図によって全然違う。
帰りはラッキーなことに、雲があがってきて、山が見えた。
ドルボ独特の雲の流れだと感じる。
クーンブ、アンナプルナ方面では、昼以降ガスったらずっとガスってることが多いんだけど、
ドルポの場合、夕方にガスが切れる時がある。
そして、今回もタイミングよく、
ノルブカン(6085m)が見えた〜〜!
ドルポ内部では、こういったヒマラヤが見えるポイントが少ない。
7000〜8000mの山が見たい方は、クーンブやアンナプルナに行くことをオススメします〜。
最後にポクスンド湖について。
簡単にいうと、
かつて、湖は村だった。
そこに、仏教の僧侶に追われた魔女が逃げてきた。
魔女は、村人に内緒にしてもらうために、トルコ石を村人に渡した
しかし、村人は、僧侶に言ってしまった。
魔女は、その仕返しにトルコ石の色の水で、洪水を起こし村をしずめた
もうちょっと詳しくいうと、
↓
仏教の僧侶というのは、パドマサンバヴァ。
パドマサンバヴァはダナコーシャという湖に生きる蓮華から出生した。
ウディヤーナ国の王の養子として成長、30歳の時、浄化の仏である金剛薩他が現れ、そのお告げにより一切有情の救済のため出家修行の道に入り、当時、チベットのティソン・デツェン王が修行中のパドマサンバヴァを招き、彼は直ちにチベットに赴き仏教の普及を妨害していた土着の神々をタントラの神通力で調伏、神々は必死に抵抗するも密教行者の強大な呪力の前にあえなく粉砕され、チベット初の僧院サムイェー寺を建立た。
呪縛調伏(じょうぶく)され、仏法守護を誓わされて、護法の善神にさせるの嫌い、その中の魔女のひとりがここまで逃げてきて村人に一晩かくまってほしいと『決して村人をいじめるようなことはしないから・・』哀願するも村びとらは魔女を家に入れなかった。
仕方なくゴンパ(寺院)に頼み込みにかくまってもらったが、一晩中魔女は神々にいじめられて泣き続けた。
翌朝、その恨みの涙が澄み切った大きな湖となって村をすっぽり埋づめてしまった。
引用:大西バラサーブのブログより
ちなみに、ここに黄色のTシャツ着てるのは私です^^
ってことで、ポクスンド湖、こわいやん・・・ww って思うけど^^
Wikiによると、
湖の下流には、落差167メートルのポクスンド滝がある。
最深部 145m
湖南部には20以上の仏塔がある。
横幅 1.8km
縦、6km
さらに、TVからの情報によると、
水中撮影は、1994年 テレビ朝日の大谷映芳氏 当時47歳!
そこで、氷河の雪解けが底に溜まっていて、マメシジミを発見している。
植物のプランクトンの遺骸がいっぱいあるとのこと。
大谷映芳氏は、私は大ファンです^^
元テレビ朝日ディレクター&プロデューサー
すごい記録をお持ちで、代表的なものは、、
・パキスタン・ラカポシ(7,788メートル)北稜初登攀(とうはん)
・K2(8,611メートル)西稜初登攀
・チベット・クーラカンリ(7,554m)初登頂
なのに〜〜、穏やかで紳士なのだ。
大谷氏の周りには、めちゃ柔らかい空気が漂っている。
世界中の秘境の地を撮影してきて、最後にドルポをサポートしているんですよね。
元テレビ朝日ディレクター&プロデューサー
NPO法人 EARTYH WORKS SOCIETY 代表
カトマンズで偶然にもお会い出来たことがある。(2016年)
千早赤阪村にも2回お呼びさせて頂き、講演会をして頂いたことがある。
最近でいうと、ナスDのドルポの映像は、大谷氏が全面サポートしているんです。
大谷氏がいなければ、あの映像は絶対撮れてないよ〜〜
ナスDおもろいけどね〜、人柄も良さそうで絵も上手だし、YouTubeたまにみるよ。
それぞれの世界観があっていいと思う。
しかし、あれで終わってしまうのが正直切ないのが私の本音。
慧海師もそうだけど、西北ネパール学術探検隊(隊長:川喜田二郎氏)の記録がある。
1958年です、アーカイブはこちらから見れますよ。
そして、次に大西バラサーブももちろんだけど、参考にしてるHPは他にもある。
バルブンコーラを横断した方^^
さらに、1973年にドルポ横断した人もいる!
HPはなくても資料も探せばもっと出てくる。
だから私はもっと勉強しやなあかん〜
だって、このままやとどんどん消えてまう〜
頭が追いつかんこと、多々あるけどねーー笑!
「おい、お前、これは知らんのか?」って思われた先人の方々、教えてください^^
宜しくお願いします。
ドルポの昔のこと、知りたいんですよね〜
私の世界観は、最近YouTubeチャンネル作ったので、今後はこちらから発信予定。
最近、2016年に慧海ルートを歩いた時の映像を初公開しました。
この日、ポクスンド湖の空を見上げたら、こんな感じ〜^^
ツアー日記なのに、めっちゃ脱線してしまった〜
ドルポには熱い思いがあるので、失礼しました・・・ww
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